Vol.005 2003.01.03 ON AIR
BLUES MAN:Muddy Waters
O.A曲名:I can't be satisfied
from CD:The Best of Muddy Waters
はーい、「ムーンドッグアワー」を聞いてる皆さん、原島、小杉、ア、ハッピーニューイヤー、明けましておめでとー。えー、という訳で、今夜も、そして今年も始まりました、この時間は、去年の12月から始まったんですけど、私、仲井戸“CHABO”麗市が真夜中、3時からお送りする、深夜3時のBLUESプログラムですねー、その名も、仲井戸“CHABO”麗市『THREE O'CLOCK BLUES』でーす。明けましておめでとう〜(♪ギターを弾く)原島、小杉〜。えー、みなさんどんなお正月を過ごしてますか? っていう訳なんだけど、なんか俺はまだ年が明けたって気になれないんで、まだなんかね年末をうろうろしているようなね、今日もスタジオに来る時、なんか道間違ちゃったり、なんかまだ年末の慌ただしさの中にいるような気がしてしょうがないんです(笑)

お雑煮、喰いましたか? 最近、だけどお雑煮なんて喰うのかなあ? まあ、食べるか。俺なんかあんまりもう食べなくなっちゃたけど。自分の唄に“お雑煮喰う”なんていう詩のフレーズがあったりするんだけど、なんかあんまり…コンビニとかもあるしね、今やね。あんまり“お雑煮”って感じでもないけど、どんなお正月でしょうか? 俺はねなんか、X'masもとてもガキの頃から好きだったんだけど、正月もなんか好きだったねえ、なんか“一家団欒”っていうかなあ、その…一年間離れたりして、俺もある時期からもちろん、家、出ちゃったりしたから、20歳ぐらいから。でも正月に集まったりして、俺、すごいおばあちゃん子だったから、おばあちゃんがこう…それこそ、お餅焼いたりとかね、安倍川とか、そういうお餅を作ってくれてる姿とか、もちろんお年玉とかね、そういう…おばあちゃん子だったから、とてもお正月の景色っていうのは楽しい想い出としてあるねえ。あと、お袋がお正月は真っ白な割烹着を着て忙しく動き廻っている姿とか、親父と神社に行くとかね、そういうお正月の…日本っぽい姿かなあ、俺、R&R、BLUES大好きだけど、なんかそういう日本のお正月の景色って、なんか好きですね。そういうことはとても薄れて来ているのかも知れないけど。みんなどういうお正月でしょうか? 

って、まあお正月の話ばかりしていられないんだけど、年末は、えーまだなんかその、やってる気分、まだ終わってない気分なんだけど、麗蘭のTOURをずっとやってました、土屋公平君。麗蘭のTOURをやって、やっとそれが年末終わって、京都で最後終わってお正月になったって訳です。俺はもう、姪とか甥にお年玉あげる方だから当然、頭きちゃうの、姪や甥が多いから。しかもあてにしてるからアイツら。「今年も去年と同じ値段か」みたいな。張り倒してやろうかと思ってますね(笑)えー、またもらいたいね。70過ぎたらまたもらえるなんて、そういうシステムないのかな(笑)えー、BLUESの番組ですからね、原島、小杉、元気かーなんて。えー、先月から始まって4人やりました。この番組は一週に1アーティスト、しかも一曲絞り込んでかけていくっていう素晴らしい番組ですね。最初がロバート・ジョンソン、次の時がハウリン・ウルフ、3回目はB.B.KINGのX'masかけましたね。で、最後はソニー・ボーイ・ウィリアムソンというハーモニカのをかけました。ま、B.B.KINGはちょっと知られているかも知れないけど、まあ…BLUES好きな人だったら、他の3人も「俺、知ってるぜ、渋いなあ」なんて喜んでくれたかも知れないけど。ま、B.B.KINGだって、そういった意味じゃ、それほど知られてないもんねえ、エリック・クラプトンは知っているけど、B.B.KING知っている人は一般的にはやっぱりとても少ないかも知れないもんね。

だからこの番組でかける人っていうのは本当にあんまり知らない人だと思うんだけど、今回、今年最初にかける人をまず紹介すると、この人はやっぱりかけなきゃ始まらない!ってわけで、最初にかけた…去年の一回目のロバート・ジョンソンと、ま、同等にBLUESの歴史においては偉大な功績を残した人で、マディ・ウォーターズ。BLUESファンの奴は「おお〜やっぱりマディきたか」って喜んでくれてるかも知れませんが、知らない人は「何だ、その変な名前。“マディ・ウォーターズ”泥んこ水?」みたいな。そういう愛称の人ですね、マディ・ウォーターズ。本名は、えー何だ…マッキンリー・モーガンフィールド、っていう、去年まで一応資料をディレクターの松葉君がくれていたんです。今年から「仲井戸さん自立してください」みたいな、資料が一切無ーい訳です。突然冷たくなる男ですね、松葉君もですね(笑)ですから一生懸命自分のメモを見てんですけど。えー、マッキンリー・モーガンフィールド。マディ、マディって親しまれてますね、もちろんクラプトンさん、それからみんな好きなR.STONESのキース・リチャーズやミック・リチャー…、ミック・リチャードってなんでしょうね(笑)ミック・ジャガーなんかの、ほんと、お父さん格だね。あと、ジョニー・ウインターなんて人、今現役で頑張っているね、それか亡くなっちゃったけどスティービー・レイボーン、つまりそういう俺と同世代、もしくはもうちょっと上のBLUES好きな小僧たちが夢中になって聴いた、お父さんだね、BLUESの、お父さん格の人だね。現にジョニー・ウインターなんかはマディ・ウォーターズも「アイツは俺の息子だよ」なんていうコメントを残したりね。

もう亡くなったんですけど、1915年に生まれて、もう大昔だね、1983年にマディは亡くなってます。えー、なんて言うかな…そういう細かい話はまた違う日にしようと思うけど、“シカゴ・ブルース”っていうBLUESの中に…なんて言うのかな? 形態っていうか、そういう大きな歴史の流れ、そういうあれがあるんだけど、“シカゴ・ブルース”っていうのを簡単に言うと、こう…創立した人だね、もともとはアメリカ南部のメンフィスの南のミシシッピー地帯で生まれて、ギター一本で最初は演っていたんだけど、やっぱり当時の南部の人っていうのは、シカゴっていう北部の街に憧れたんだよね、大都会の工業都市シカゴに。シカゴに行けば何か夢が叶うんじゃないかって、で、マディ・ウォーターズも電車でシカゴにのぼった訳です。それで、当時は自分で一人で演っている場合には…(♪ギターを弾く)あの、俺、今アコースティック・ギター弾いているけど、一人で唄ってるのは、聞こえるよねえ? ♪はーい、今日天気いいぜ〜 また電車間違えて、道間違えて、スタジオ来るの遅れたぜえ〜♪ 一人で演っている時はこれでいいんだけど、やっぱりマディなんかがシカゴに出て来てクラブとかで唄い出すと、やっぱりお客さんが酒飲んでいるし、聞こえないんだよね自分の唄やギターが。そういう…ま、理由からギターにアンプ…なんて言うのかな、マイクを付けたりとか工夫をして、音がデカくなる様に。みたいなことでだんだんエレキ・サウンドが確立していったっていう。そういうことでシカゴ・サウンド、シティ・ブルースだよね、あの…田舎のカントリー・ブルースから、マディがシカゴに来てだんだんいろんな人たちと出会って、シカゴ・サウンドっていうのを確立していくんだけど。ま、マディじゃない日にでもシカゴ・ブルースのことは話そうと思うけど、そんなシカゴ・ブルースというのを本当に、確立した親分かな? あの…お父さん格の人です、BLUESの。そんな人を…まだ、たっくさん話したいことあるんだけど、聴いてもらおうかな。えー、じゃあ、マディ・ウォーターズでね…、あっ! あとこれだけ話させて、R.STONESが憧れてんじゃん、マディに。で、R.STONESが1964年にミックやキースがみんな、シカゴのマディなんかがレコーディングしたサン・スタジオっていうとこに行くんだよ、マディに会いたくて。で、マディいなかったんだよー、いたのはそこでスタジオの天井にペンキ塗っているおじさんがいたんだよ。で、がっかりしたら、そのペンキ塗っているのがマディだったという(笑)なかなか面白いエピソードも残ってますね。マディ、もうその時有名だったんだけど、なかなかBLUESなんかじゃ喰えなかった、ペンキ塗ってたって…、なんかちょっといい話ですね。えー、そんな、もうお父さん格、マディ・ウォーターズの…この曲が俺はシカゴ・ブルースの夜明けじゃないかと思って、大好きな曲なんです。えー、ウッドベースと二人だけで演っているんだけど、ものすごい…なんか、ディープなサウンドです。じゃあ、今週は今年最初のBLUES MAN、マディ・ウォーターズで「I can't be satisfied」です、また来週。明けましておめでとう。



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