札幌市民会館 最後の日
〜Last Shimin〜
はじめに
僕が初めて札幌市民会館に行ったのは、当時15歳、1978年の「オーティス クレイ」というソウルシンガーのコンサートでした。それまでLIVEハウスしか行ったことがなかった中学生の僕には「おお!大きい!」「本人の頭から足の先、バンドの楽器まで全部見える!」というすごい衝撃の“大箱”デビューでした。
そして7年後の22歳、現在の会社に入社をしたのですが、当時はROCKコンサートが多く、お客さんも良い意味で血気盛んな人ばかり。「ステージにかぶりついて見るのがROCKだ!」と始まるやいなやお客さんがオーケストラピット付近に殺到し、何度コンサートを中断したか判りません。一方の警備するこちら側も「潰されてたまるか!」「会場を壊されると二度と借りられないから、絶対暴れさせるな!」と応戦する、非常にエネルギッシュな時代でもありました。(少しフォローさせていただくと、オーケストラピットの下は空洞で、下手をすると床が抜けてケガ人が出てしまう可能性があったため、警備を強化しなければいけなかったのです)
昨年2月に耐震構造の強度不足等を理由に、昭和33年旧豊平館跡に建てられた札幌市民会館の取り壊しが決定しました。今年で48歳。まだまだ現役でいける年なのですが、残念ながら2007年1月31日をもって「最後の日」を迎えます。
コンサートを企画する側、演奏する側、そしてコンサートに来るお客さんの側からすると、肝心なのは「本人の頭から足の先、バンドの楽器まで全部見える!」という会館が札幌からまた一つなくなるということなのです。
色々なコンサートを通じて、札幌市民会館から僕は学びました。
ステージに立ったアーティストの印象を聞いてみても「客席まで遠い」とか「お客さんが全て見えるので気持ちがいい!」とか意見も様々だった事を含めて“市民会館”なんだなと思います。
「頭から足の先まで」見せるエンターテインメント。警備の在り方。演る側/見る側の立場……すべてここから学びました。
そして今。閉館に際し、ひとつのオリジナルコンサートという形で、北海道の音楽ファンとともに「札幌市民会館がここにあった」という記憶を共有できればと思います。
“終わり”があれば“始まり”があるように、ここからまた新たな音楽に向かうパワーが生まれることを信じます。
当日の会場装飾は北海道在住のアーティスト達に依頼し、アートパフォーマンスおよび表現の場所として提供したいと考えます。ライブペインティングや会場のデコレーション等、色々な人たちに「終わり」と「始まり」というコンセプトで参加していただきます。
色々な枠を越えて“市民会館 最後の日”を皆さんと創りたいと思います。
WESS 若林良三
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